W.リップマン『世論』

担当班 長嶋、島田、北山

【著者紹介】 ウォルター・リップマン Walter Lippmann (1889-1974)

W.リップマン

 20世紀アメリカを代表するジャーナリスト。1910年ハーヴァード大学卒。第一次世界大戦時にウィルソン大統領のブレーンを務めたが、戦後処理に失敗して政界を離れた。
 21年に新聞界入りし、31年から『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』でコラム「今日と明日」を担当し、政治評論家として盛名を馳せた。
 58年、62年の2回ピュリッツアー賞を受賞。名著『世論』で「ステレオタイプ」という概念を社会心理学に導入した。

(弘文堂‐社会学辞典より引用)





リップマン略年譜

 1909年 20歳 社会主義者協会大学連合・ハーヴァード大学支部の活動に従事
 1922年 33歳 著書『世論』
 1958年 69歳 最初のソ連訪問、…ロシアの力の源は「秘密活動に」ではなく、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ諸国に「学ぶべき手本を示しているところに」ある。
西側は「民主主義を犠牲にせずに、社会の後進的部分を向上しうることを実証することによってのみこの力に対抗しうる」と”Today and Tomorrow”でのべ、内外に大きな反響を呼ぶ。

【問1】 リップマンが冒頭において「疑似環境」(P29)という概念に注目しているのはどういう根拠によるか。この概念を説明した上で答えよ。〔第一部〕

【引用】

 P18 「あるがままを事実をして受けとめるのではなく、自分たちが事実だと想定しているものを事実としている。」
 P27 「どんな人でも、自分の経験したことのない出来事については、自分の思い描いているそのイメージが喚起する感情しか持つことはできない。したがって、他人の行為を真に理解しようとすれば、彼らが知っていると思っていることはどういうことか知らなければならない。」
 P30 「真の環境があまりに大きく、あまりに複雑で、あまりに移ろいやすいために、直接知ることができないからである。…それをより単純なモデルに基づいて再構成してからでないと、うまく対処していくことができないのだ。」
 P31 「行為の現場、その現場について人間が思い描くイメージ、そしてそのイメージに対する人間の反応がおのずから行為の現場に作用するという事実。」
 P36 「住んでいるのは同じ世界だとしても、考えたり感じたりは別々の世界でしているのだ。」
 P42 「それぞれの人間は直接に得た確かな知識に基づいてではなくて、自分でつくりあげたイメージ、もしくは与えられたイメージに基づいて物事を行っていると想定しなければならない。…世界がどのように想像されているかによって、その時その時の人間の行為が決定される。」

【解答】

 人間が知ることのできる情報は限られている。真の環境は一人の人間にとって理解しえないほどに広く複雑で、現実と人間との関係が直接的なものではなく、間接的なものだからである。だから人間は、経験と想像からわかりやすい形に加工して世界を理解する。この一人一人が理解した世界が疑似環境である。
 そして思い描いたイメージは個々人によって違い、他人の行為を本当に理解しようとすれば、その人の描いている世界を知らなければならない。また実際に行動を起こし影響を与えるのは現実の世界である。
 にもかかわらず、人々は自分描いた世界にもとづいて考え、感じ、この世界こそが真の世界であるかのように行動している。
 この疑似環境は現実世界にある諸事実の中から、他者から提供されたり、自分から選び取った象徴が集合した状態である。これはステレオタイプと結びつくことで、世論の形成に深く関わっている。

【問2】 「ステレオタイプ」はどのように形成されるか。また、「ステレオタイプが人々の事実判断に及ぼす影響を説明せよ。〔第三部〕

【引用】

 P111 「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。」
 P120 「われわれは一定の観念を通して外界の光景を観察する。」
 P121 「未訓練者の目で身の回りを観察するとき、われわれがそこから拾い出すのは自分が認識できる記号ばかりである。そうした記号は観念を表徴する記号であり、こうした観念をわれわれは自分の内にたくわえているイメージ群で充たす。」
 P123 「外部からのあらゆる影響力のうち、もっとも微妙で、しかももっとも広範に浸透してくる力は、ステレオタイプのレパートリーをつくり、それを維持するような力である。」
 P124 「教育によってはっきりと自覚させられないかぎり、こうしてできた先入観が知覚の全過程を深く支配する。」
 P128 「ステレオタイプ、パターン、公式類は、生まれついての性格が適応し、反応する精神世界の構築にきわめて決定的な役割を果たしている。だから、われわれがある人間集団の精神(中略)を語るときには、本能的に備わっているものをステレオタイプ、パターン、諸公式類から分離するという合意がないかぎり深刻な混乱に陥ることになりやすい。」
 P128 「たしかにステレオタイプというものはひじょうな一貫性と権威をもって親から子へと伝えられるために、ほとんど生物学的な事実のように思える。」
 P156 「その結果、ステレオタイプは忙しい生活のなかで時間を節約し、社会におけるわれわれの位置を守る役目を果たすだけでなく、世界を確実に見つめ、その全体を見わたそうとする試みによって生じるあらゆる困惑からわれわれを守ることにもなるのである。」
 P161 「あるステレオタイプの体系がしっかりと定着しているとき、われわれの注意はそうしたステレオタイプを支持するような諸事実にひかれ、それと矛盾するものからは離れる。」

【解答】

 人間はこの世に生を受けて以来、外部からの刺激をパターン化して認識する。それは親から子、親方から徒弟、上司から部下へと伝えられる習慣と呼ばれるのであり、同時に彼もしくは彼女の先天的性格やタイミングなどの影響を受けて、自分の周囲で起こる諸々の事象をイメージ化する作業である。
 こうして形成されたものがステレオタイプとなり、人々は世界で起こるあらゆる事象を、ステレオタイプとの比較によって認識する。
こうして認識された人間を取り巻く環境は、本書で「疑似環境」として示されるものであり、実際の環境から、人々が個々にもつステレオタイプと類似点をもった象徴を見出し、認識しているにすぎないものなのである。
 また、このステレオタイプが強固に人々の内部で根拠づけられたものであると認識されている場合には、これに符号するような諸事実と強く結び付き、逆に、これに反するような諸事実からは離れる傾向がある。

【問3】 民主主義における『世論』とは何か。ニュースの本質を踏まえた上で答えなさい。

【引用】

 P196 「記録されていない出来事は個人的かつ常套的な意見として記事になるか、あるいはニュースにならないかで終わるかである。そうした出来事は誰かが抗議するか、誰かが調査するか誰かがそうした出来事の出口を公然と作ってやらない限り、ニュースの体をなさないのである。」
 P198 「広報係の進出は、現代生活における諸事実が自然のままでは報道される形にはならないことをはっきりと示すものである。誰かが諸事実に形を与えなければならない。記者たちは日常の仕事の中で諸事実に形を与えることができないから、そして、公平な情報機関はほとんどないから、利害関係の当事者たちが何らかの形を求める要請に応じているのである。」
 P201 「あらゆる場合、ジャーナリズムは素材を直接に報じるものではないからだ。ジャーナリズムは、素材があるかたちに整えられてからそれを報告する。」
 P205 「論議を呼ぶ心配のない事実を採り上げ、その扱い方も読者の関心にいっそう副うようにする。論議を呼ぶ心配のない事実とはストライキそのものであり、容易に読者の関心をひく扱い方とはストライキのために読者がこうむる不便さを書き立てることである。」
 P218 「今日社会的真実は組織化されてしまっているので、新聞は世論という民主主義理論が要求するだけの情報量をつぎつぎと版を追って供給するようにはできていない。…こえは新聞の合う買う社会が、そこを支配している諸要素について極めて不完全な記録しかもっていないせいである。」

『ブーアスティン』

 P17 「合成的な新奇な出来事がわれわれの経験には充満しているが、私はそれを「疑似イベント」と呼ぶことにする。」
 P19 「疑似イベントは自然発生的でなく、誰かがそれを計画し、たくらみ、あるいは扇動したために起こるものである。…疑似イベントは、いつでもそうとは限らないが、本来、報道され、再現されるという直接の目的のためにしくまれたものである。」

【解答】

 世論とは一般的には公的問題についての民衆の意見とされている。そして民衆の意見とは、それぞれ事実を元に個々が下した論拠のある確実なものと思っている。
 しかし、リップマンの定義によれば、世論とは「人びとの脳裏にあるもろもろのイメージ、頭の中に思い描く自分自身、他人、自分自身の要求、目的、関係のイメージ」であり、社会的には「集団の名の下に活動する個人が頭の中に描くイメージ」である。とすれば、民主主義において公的問題を取り扱う際に求められた世論というものは役割を果たせていないことになる。
 そもそも世論というものを構成する情報を与えているのはメディアであり、多くは新聞である。現代社会において新聞に情報を提供する人間や組織は新聞記者に与える情報を選択する。組織においては広報係を置いてまで徹底している。また新聞記者もニュースとして報道する事実を選択し、時にはニュースから新たな事実を作り出しさえもする。
 つまり、ニュースは事実がありのままに報道されるものではない。ニュースの提供者にとって、提供する事実は自らに利益をもたらすニュースに限られ、新聞記者が選択する事実は、読者が喜ぶ刺激的なニュース、新聞の販売部数を伸ばすニュースに限られるのである。
 イメージ、ブーアスティンで言えば疑似イベントである。論拠もなく、だれそれの利益のために製造されたニュースから情報を得ている民衆によって構成された世論はもはや作られたものであり、イメージであり、疑似イベントに過ぎないのである。

【補足】

 世論とは公的問題についての民衆の意見。意見とは、「人々の脳裏にあるもろもろのイメージ」のことである。
ヒュームが「いかなる専制的な統治も意見にもとづく」と述べたように、民衆の声を無視して政治的安定はないということは古今東西を問わず言われ、すでに古代ローマにも「民の声は神の声」という言葉があった。しかしながら、そのことは必ずしも、民衆が常に直接政治的判断を求められたということを意味しない。
 ルソーが人民主権論を打ち立て、フランス革命を初めとする市民革命が行われる中で、ようやく民衆は表部隊へと登場してくる。ハーバマスによれば、18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパでは、一部のブルジョワたちの間に、共通の話題に関して自由に討論する公的な空間が出現した。彼らは論議する「公衆」であった。しかるに19世紀末までに、経済問題の解決を国家に委ねるに従って、ブルジョワたちは自律性を失い、公的空間を失う。
 かくして能動的に論議する「公衆」は消滅し、あとには受動的に文化を消費する「大衆」が残ったというのである(『公共性の構造転換』)。そして普通選挙の実現によって、大衆の政治的発言権は制度化された。こうして生まれた「大衆社会」において世論とはリップマンの『世論』によれば、「公的事柄」について「われわれの文化がわれわれのために定義しているもの」、すなわち「ステレオタイプ」化された形で文化的に継承されて来たイメージにすぎない。
 リップマンは巨大化した現代社会で民衆が討論する公衆となる可能性に懐疑的であった。それに代わるものとして彼は、マスコミによる世論の抽出に期待をかけたし、そうした方向はその後の世論研究にも受け継がれている。
 しかし、情報を一方向的に伝えるだけのマスコミの代替機能には限界があり、世論を実質的なものにするためには、様々な公共空間を作り出す努力が必要であろう。
(岩波・哲学思想事典より大部分を引用)

【問4】 リップマンが本著を記す動機となった第一次大戦以降、大衆消費社会への変遷に伴って人間の条件(アレント参照)も劇的に変化することとなった。第一次大戦の時も顕著であったが、我々市民は上層階級による情報操作により真実を見失いつつある。現在においてはその構造が社会に浸透し、真実が世論に覆い隠されている。このような状況をあなたはどのように考えるか。真実と世論の関係、及びリップマンの考えを踏まえて述べなさい。

【引用】

無し

【解答】

 ハーバマスによれば、18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパでは、一部のブルジョワたちの間に、共通の話題に関して自由に討論する公的な空間が出現した。一つ例をあげるとサロンがそれに当たる。
 サロンでは人々は論議する「公衆」であった。しかし、19世紀末までに、経済問題の解決を国家に委ねるに従って、ブルジョワたちは自律性を失い、公的空間を失う。かくして能動的に論議する「公衆」は消滅し、あとには受動的に文化をただただ消費する「大衆」が残ったのである。これはハーバマスの『公共性の構造転換』における議論である。
 現代社会においては、このような歴史的背景を経た末に、ありのままの事実、つまり真実は、問3でも述べたようにある真実を人の思惑によってきりはりされた合成的な事実によって覆い隠されているのである。また、真実が隠されていることに対して「大衆」は疑念すらもたない。真実であることなど問われなくなったといっても過言ではない。公的問題についての民衆の意見であるはずの世論ももはや作られたものである。
 我々一般市民の中には、疑似環境内で生活することに何ら違和感を持たない人を確かに存在する。しかし、真実が隠されたことによって不利益を被る人々も確実にいるのである。
 そのような人が存在する限り「知らなかった」では、同じ人間として無責任である。例え、私たちに彼らを助けることができなくても彼らの存在を知ってあげることはできる。またそれが彼らにとって安らぎを与えるということもありえる。そして知ることで解決への道も開かれるのである。そのために私たち鎌田ゼミ生は日々勉強しているのではないだろうか。